☕ 多様性を受け入れると、自分も生きやすくなる😊🤝😊 人種のサラダボウルで思うこと🌏️

暮らし

みなさん、おはようございます☕☀️

オーストラリアの派遣保育士、カーリーです😊

ようこそ✨ 月曜朝の「ふむふむタイム」のお時間です😉

🌏️ はじめに

みなさんのお住まいの地域で、最近「外国人」らしき人々を見かけることはありますか?

私の生まれ育った地元(福岡の田舎)では、20-30年前はほとんど見かけることはなかったのに、最近帰省すると、よく見かけるようになりました。

中国、韓国などの東アジア系はもちろん、ベトナム、フィリピンやインド系のお店も見かけることが増えました。欧米系も時々、あとは話している言葉や雰囲気からは推測できない人々も。

実際に、外国人が増えている日本で、今起きていること。
どうしてもネガティブな感情を抱きやすい、この話題。

今回は、ポジディブな面のひとつとして、さまざまな文化背景を持つ人々が暮らすオーストラリアに住んでいる私が感じること、思うことをお伝えできたらと思います😊

🌏️ 日本で増え続ける外国人

実際、日本では外国人居住者が増えている傾向にあり、
出入国在留管理庁のホームページ によると、

令和6年6月末の在留外国人数は、358万8,956人(前年末比17万7,964人、5.2%増)で、過去最高を更新

とあります。

みなさんは、この事実を知って、どう感じますか?

外国人を発端としたさまざまな事件や事故が報道されるたびに、

「日本の治安が悪くなる」
「日本の文化や習慣が廃れてしまう」
「日本が乗っ取られる」
「外国人の受け入れ反対」

などのようにネガティブな感情を抱く人も少なくないようで、人々の会話やネット上では、無関係の外国人居住者に対するいわれのない誹謗中傷も増えてきています。

メガトレンドとして、日本における外国人居住者は増えていくと言われている中、このような状況がずっと続いてほしくはないなと個人的には思っています。

この流れは止まらないのだとしたら。
この流れが日本の将来につながるものなのだとしたら。

もちろん、日本に来た外国人が日本のルールや文化を知らなかったために事件や事故を起こすというのは看過できません。

一方で、大半の真面目に勉強したり働いたりしている外国人がたくさんいて、日本の経済や文化によい影響をもたらしてくれていることも忘れることなく、もう少し、落ち着いて冷静に向き合うことができたらいいのになと思っています。

🌏️ 「人種のサラダボウル」オーストラリア

現在私が住んでいるオーストラリアは「人種のサラダボウル」と呼ばれ、約300ほどの言語が日常的に使われていると言われています。

【参照】Macquarie University “Languages in Australia”

こんなにもたくさんの言語が使われているということは、それだけ多様な文化を持つ人々がここオーストラリアで暮らしているということ。

なので、「人はみな違っていて、当たり前」という前提があり、互いにその違いを尊重し、時には楽しみ合いながら生活しています。

言葉だけでなく、肌や髪の毛の色、生活習慣が全く異なる人々と友達になり、一緒に遊んだり働いたり、家族になったりする。

そんな社会です。

🌏️ 障がいもひとつの特徴だと受け入れられる

私には、長い間お世話をさせてもらっている重い障がいのあるオーストラリア人の女の子がいます。

その子と10年近い付き合いの中、ふとある時感じたことは、「こんなにも重いハンデがあっても、この子の存在が浮きにくい気がする」ということでした。

なぜ?と思い突き詰めていくと、ここオーストラリアでは、「人はみな、違っていて当たり前」という前提があるからではないかと思うようになりました。

その子と一緒にお出かけをすると、人々の視線を感じることがないわけではありません。
でも、「そういう子もいるよね」「珍しがることじゃない」「特別視するようなことじゃない」という包容力のようなものを感じるのです。

もちろん、困ったときには助けてくれたり、私たちのたわいもない話に巻き込んでそれに付き合ってくれたり、みんな優しいです。

ちなみに、オーストラリアでは「Auslan*(オースラン)」という手話が、英語、スペイン語、中国語などと同じように、1991年からひとつの「言語」として公認されています。

* Australia(オーストラリア)+ Sign Language(手話)の2つの言葉から生まれた言葉です

【参照】 National Disability Practitioners Factsheet

🌏️ 美の基準もひとつではない

もともと違っているのは、言葉や生活習慣だけではなく、肌や髪の色、体型もそう。

だから、「みんな」が思う「美の基準」が一つに定まることもありません。

太っていても、やせていても、美しい。
目が小さくても、大きくても、美しい。
肌の色が濃くても、薄くても、美しい。
身長が低くても、高くても、美しい。
髪の色が暗くても、明るくても、美しい。

みんな、それぞれが「美しい」と映るのです。

🌏️ 好みだって人それぞれ

男の子だけど女の子っぽいものが好きな子、
一人で静かに行動するのが好きな人、
流行りの服とは違うテイストの服が好きな人、など

好みは人それぞれ、人の数だけあるのが自然なこと。

それなのに「みんな」「流行り」と同じじゃないと、なんだか苦しい。

日本にはそんな息苦しさがあるような気がしているのですが、みなさんはどうですか?

🌏️ まとめ

日本でもゆっくりと、外国人の存在、多様な価値観の存在を受け入れていくことができたら…?

いろいろな文化背景を持つ人々が暮らしていて、いろいろな特徴、美の基準や好みなどが共存し、尊重しあえる。

そんな社会ができて行く可能性があるとしたら、素敵かも?

お互いに、また日本人自身も生きやすくなる面もあるかも?

そして、そんな社会をつくるために必要なものは何だろう?

そんなことをいろいろ考えるのですが、みなさんはどうですか?😊


最後までご覧いただき、ありがとうございます🙏🏻

またいつでもあそびに来てくださいね😊☕🧡

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